賀川豊彦の著作
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『死線を越えて』の爆発的売れ行きに、改造社は賀川に第二段の執筆を要請した。いわゆる「続編」である。貧民窟からプリンストン大学への留学。そして労働運動への目覚めが書かれる。『太陽を射るもの』という副題は、賀川がニューヨーク郊外のモントクレアの公園にあるインディアンの銅像に由来する。
インディアンたちは強い意志を持つ勇敢な子供を育てるために、太陽を射るほどの弓の訓練をさせた。選ばれて酋長になるためには、なおさらであった。青年賀川はその時、日本社会の建て直しを図るのは自分だと考えたに違いない。(伴 武澄=2009年1月18日)
インディアンたちは強い意志を持つ勇敢な子供を育てるために、太陽を射るほどの弓の訓練をさせた。選ばれて酋長になるためには、なおさらであった。青年賀川はその時、日本社会の建て直しを図るのは自分だと考えたに違いない。(伴 武澄=2009年1月18日)
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改造社は『死線を越えて』の発売後、半年を経た大正10年7月号の雑誌「改造」に続編発売の広告を出し、同年11月28日に発売を開始した。
発売日には10台のトラックで運び出され、たった15日で百版を重ねた。当時の版は5000と推計されることから、50万部である。そのころまでに上巻は100万部を越えていたから上巻の読者の半数が2週間のうちに「続編」を購入したということになる。
「続編」は結果として二百版を重ね、約100万部が売れたとされる。後に出る廉価版の売り上げ部数は不明である。
発売日には10台のトラックで運び出され、たった15日で百版を重ねた。当時の版は5000と推計されることから、50万部である。そのころまでに上巻は100万部を越えていたから上巻の読者の半数が2週間のうちに「続編」を購入したということになる。
「続編」は結果として二百版を重ね、約100万部が売れたとされる。後に出る廉価版の売り上げ部数は不明である。
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