賀川豊彦の著作
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藤生ゴウ著、劇画『死線を越えて』(家の光協会、2009年11月1日)
名著『死線を越えて』を劇画版として再編集・再構成。賀川豊彦がスラム街において「愛と協同」を通じて貧困と格差を解消し、平和な協同社会をめざした足跡をたどる。
作画は昨年劇画『蟹工船』でヒットした藤生ゴウが担当。賀川豊彦献身100年記念事業神戸プロジェクトが誰にでも親しみを持って読んでもらえる「賀川伝」をと約1年がかりで総力を挙げて編集した。
賀川豊彦『友愛の政治経済学』(コープ出版、2009年6月)
1936年ニューヨークのハーパー社から出版された『Brotherhood Economics』の翻訳が73年目にようやく日本で出版された。賀川のこの“経済書”は、大恐慌後の経済建て直しに難渋していたアメリカ政府が賀川に協同組合経済を啓蒙してもらおうと訪米を要請し、ニューヨーク州のロチェスター大学で行われた同名のレクチャーが出版されたもの。
この本は17カ国語に翻訳され25カ国で販売された。それだけ「センセーショナルな意味合いを持っていた」(監修者の野尻武敏氏)という。経済は人の心が通わなければ、うまく運営できない。金もうけが目的ではなく、助け合いによって生活向上を図るような仕組みを経済体制に組み込まなければならないとする。
バングラデシュのグラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス氏が唱えるソーシャルビジネスに通じるものがあり、リーマン・ブラザーズ破綻以降の経済危機の最中にあるわれわれにとって示唆に富む発想が盛り込まれている。(伴武澄)。
1936年ニューヨークのハーパー社から出版された『Brotherhood Economics』の翻訳が73年目にようやく日本で出版された。賀川のこの“経済書”は、大恐慌後の経済建て直しに難渋していたアメリカ政府が賀川に協同組合経済を啓蒙してもらおうと訪米を要請し、ニューヨーク州のロチェスター大学で行われた同名のレクチャーが出版されたもの。
この本は17カ国語に翻訳され25カ国で販売された。それだけ「センセーショナルな意味合いを持っていた」(監修者の野尻武敏氏)という。経済は人の心が通わなければ、うまく運営できない。金もうけが目的ではなく、助け合いによって生活向上を図るような仕組みを経済体制に組み込まなければならないとする。
バングラデシュのグラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス氏が唱えるソーシャルビジネスに通じるものがあり、リーマン・ブラザーズ破綻以降の経済危機の最中にあるわれわれにとって示唆に富む発想が盛り込まれている。(伴武澄)。
賀川豊彦『死線を越えて」(PHP研究所、2009年4月7日)
山折哲雄氏推薦
大正時代の大ベストセラーがいま甦る
海文堂書店の今週のベストセラー 5/6~5/12
2009年は賀川豊彦献身100年の記念すべき年
PHP研究所 定価:本体1,500円(税別)
【帯裏】
賀川がスラム街に入ったころは、日本資本主義の勃興期にあたっていた。第一次世界大戦で戦時景気が訪れ、戦時成金が続出した。それにたいして労働者は劣悪な状況におかれ、社会保障もいきわたってはいなかった。貧富の差ははなはだしく、貧民階層の不満が世の中を覆っていた。そのような時代に、スラム街における愛と献身の物語が文字どおり彗星のように登場したのだといっていいだろう。キリスト教のヒューマニズムが多くの人びとの心を惹きつけ、たちまち広い層に浸透していったのである。その当時の社会状況が今日の日本の姿に重なって映らないであろうか。アメリカにはじまる世界的な金融恐慌がわが国をも直撃し、昨年は、格差社会のひずみが随所に噴きだして小林多喜二の小説『蟹工船』がブームとなった。そしてその『蟹工船』が発表される九年前に、賀川の『死線を越えて』がすでに世に出ていたことを思い返すとき、今回の復刊の試みがあらためて時代の動きにうながされたものであることを痛感するのである」――(「復刻版に寄せて」より)
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