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賀川豊彦の著作
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52a47237fb0ef14787b74b3cbd367ae2be6c7b4f_1.jpg武内勝口述、村山盛嗣『賀川豊彦とボランティア』
(神戸新聞総合出版センター、2009年12月)

『賀川豊彦とボランティア』が神戸新聞社から復刻された。賀川の一番弟子として行動を共にし、終生、神戸のイエス団を守った武内勝が口述した内容を36年前に村山盛嗣さんが執筆して出版された本。多くの苦難を乗り越えながら、救貧、防貧活動にいそしむ若き賀川のスラムでの一途な姿を生き生きと描いている。4月にPHP研究所から復刻された『死線を越えて』と併せて読まれることを勧めます。

献身100年を記念して神戸新聞総合出版センターが復刻した。1890円。

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97f21fdf.jpg 藤生ゴウ著、劇画『死線を越えて』(家の光協会、2009年11月1日)

名著『死線を越えて』を劇画版として再編集・再構成。賀川豊彦がスラム街において「愛と協同」を通じて貧困と格差を解消し、平和な協同社会をめざした足跡をたどる。
 作画は昨年劇画『蟹工船』でヒットした藤生ゴウが担当。賀川豊彦献身100年記念事業神戸プロジェクトが誰にでも親しみを持って読んでもらえる「賀川伝」をと約1年がかりで総力を挙げて編集した。
090829tititomitu200.jpg賀川豊彦『乳と蜜の流るゝ郷』(家の光協会、2009年9月1日)







XI040.jpgK・H・シェル『賀川豊彦』(後藤 哲夫訳、教文館、2009年8月)
その社会的・政治的活動

キリスト教の伝道者、労働運動、組合運動の先駆者、愛の実践者として激動の時代を生き抜いた賀川豊彦。その生涯と多様な働きを、日本におけるキリスト教宣教史の文脈の中に位置づけ、その全体像を描いた貴重な論考。


 

51bCRl81GML._SL500_AA240_.jpg賀川豊彦『友愛の政治経済学』(コープ出版、2009年6月)

1936年ニューヨークのハーパー社から出版された『Brotherhood Economics』の翻訳が73年目にようやく日本で出版された。賀川のこの“経済書”は、大恐慌後の経済建て直しに難渋していたアメリカ政府が賀川に協同組合経済を啓蒙してもらおうと訪米を要請し、ニューヨーク州のロチェスター大学で行われた同名のレクチャーが出版されたもの。
この本は17カ国語に翻訳され25カ国で販売された。それだけ「センセーショナルな意味合いを持っていた」(監修者の野尻武敏氏)という。経済は人の心が通わなければ、うまく運営できない。金もうけが目的ではなく、助け合いによって生活向上を図るような仕組みを経済体制に組み込まなければならないとする。
バングラデシュのグラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス氏が唱えるソーシャルビジネスに通じるものがあり、リーマン・ブラザーズ破綻以降の経済危機の最中にあるわれわれにとって示唆に富む発想が盛り込まれている。(伴武澄)。
kuucyuu141.jpg賀川豊彦の風刺小説『空中制服』(不二出版)が5月1日発売された。賀川のベストセラー復刻は『一粒の麦』『死線を越えて』に次いで第3弾目。8月には『乳と蜜の流るる郷』が家の光協会から発刊予定。賀川4部作が勢ぞろいするのだから大したものだ。

『空中征服』を再び手にして、この本はひょっとしたら『死線を越えて』より評判になるかもしれないと思い出した。80年前、東洋のマンチェスターと呼ばれるほど工場が密集した大阪を舞台に賀川豊彦が市長になりさまざまな改革を実行する物語である。
php.JPG賀川豊彦『死線を越えて」(PHP研究所、2009年4月7日)

山折哲雄氏推薦
大正時代の大ベストセラーがいま甦る

海文堂書店の今週のベストセラー 5/6~5/12 

2009年は賀川豊彦献身100年の記念すべき年
PHP研究所 定価:本体1,500円(税別)
【帯裏】
賀川がスラム街に入ったころは、日本資本主義の勃興期にあたっていた。第一次世界大戦で戦時景気が訪れ、戦時成金が続出した。それにたいして労働者は劣悪な状況におかれ、社会保障もいきわたってはいなかった。貧富の差ははなはだしく、貧民階層の不満が世の中を覆っていた。そのような時代に、スラム街における愛と献身の物語が文字どおり彗星のように登場したのだといっていいだろう。キリスト教のヒューマニズムが多くの人びとの心を惹きつけ、たちまち広い層に浸透していったのである。その当時の社会状況が今日の日本の姿に重なって映らないであろうか。アメリカにはじまる世界的な金融恐慌がわが国をも直撃し、昨年は、格差社会のひずみが随所に噴きだして小林多喜二の小説『蟹工船』がブームとなった。そしてその『蟹工船』が発表される九年前に、賀川の『死線を越えて』がすでに世に出ていたことを思い返すとき、今回の復刊の試みがあらためて時代の動きにうながされたものであることを痛感するのである」――(「復刻版に寄せて」より)

9aab3ec4.JPG賀川豊彦、詩集『永遠の乳房』(1925年、福永書店)

題名はユダヤ民族の先祖アブラハム一族が砂漠をさまよったころ、エホバの神が天から大きな乳房をぶら下げて飢えを救った故事にちなんで、神の愛を語る詩による。 以下120編収録。世界一周の詩が40編。労働歌、普通選挙の歌、生産者の歌、児童愛護の歌、青年団歌などもある。20年の「死線を越えて」に継ぐ著作。 関東大震災救援のため東京本所のバラックに住居していた。





IMG_0207.JPG賀川豊彦『世界を私の家として』(1938年、第一書房)

1935年から1936年にかけて、アメリカとヨーロッパを伝道した旅行記。大恐慌の後の経済立て直しの為に、持論である協同組合論を各地で講演した。ニューヨーク州ロチェスター大学での「Brotherhood Economics」は直ちに10カ国語に翻訳されて、経済書として世界に流布した。


IMG_0220.JPG賀川豊彦『馬の天国』







IMG_0250.JPG賀川豊彦『預言者エレミヤ』
1913年、警醒社書店

涙もろい賀川は、涙の預言者エレミヤに特別な感情をもっており、「エレミヤの涙は私の涙でした」と自序に書いている。これを書いた時、24歳であった賀川は、71歳にて世を去るまでの47年の生涯を、日本のエレミヤとして送ったのであった。

IMG_0110.JPGKagawa Toyohiko「Songs from the Slam」

Nashville, Cokesbury Press (1935)
New York: Abingdon-Cokesbury, 1935
Student Christian Movement Press (1935)

PaperBack, Friendship Press (1949)
PaperBack, Friendship Press (1956)
IMG_0101.JPGToyohiko Kagawa, Translated by I. Hukumoto & T. Sachell
「Before the Dawn」,
Chatto & Windus, London, 1925

George H. Doran company, 1924




賀川豊彦、詩集『永遠の乳房』、福永書店、PC010007.JPG大正14年12月







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