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賀川豊彦の著作
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IMG_0156.JPG賀川豊彦『颱風は呼吸する』1937年、第一書房

昭和12年2月20日、東京の第一書房から発行された。昭和12年7月7日に中国事変が勃発したのであるから、その時から5カ月前のことである。表題を見、序文を読めば、当時の日米間の雲行き、満州国建国後の中国の動きが、いかに賀川の心に影響していたかがよくわかる。この書には、アメリカにおける日本人の生活と排日的空気とが克明に病者されており、また植民地氏上海の状況とそこにおける日本人の生活とがかなりよく描かれている。いずれも賀川が生活し、体験し、あるいは見分したものを材料としたであろう。(賀川豊彦全集の解説から転載)
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賀川豊彦に「意識小説」と呼ばれるものが3編ある。『幻の兵車』『乳と蜜の流るる郷』『台風は呼吸する』。
IMG_0187.JPG賀川豊彦『第三紀層の上に』
1938年、大日本雄弁会講談社





IMG_0230.JPG賀川豊彦『空の鳥に養われて』
1958年、キリスト新聞社





IMG_0256.JPG賀川豊彦『石の枕を立てて』
1939年、實業之日本社

自伝小説の一冊。小説の主人公新見をして部落解放関係者に謝罪し、「貧民心理の研究」の絶版を約束したことを書いている。



IMG_0092.JPG賀川豊彦『その流域』
昭和10年、講談社

徳島県の寒村へ教師として派遣される主人公を中心に教育問題を扱った。農民組合と立体農業の『一粒の麦』、漁業問題を取り扱った『海豹のごとく』と『第三紀層の上に」と題した小説のと四部作。


IMG_0139.JPG 長野県佐久市にある小雀保育園は昭和23年に設立された。同園のホームページには「賀川豊彦が小説『二羽の雀』 を書いた印税で建設された」と紹介されている。
賀川の印税や講演料で建てられた園舎や教会、学校は国内に無数ある。そのうちの一つといってはいけない。この幼稚園の建設費をまかなうために執筆したという点において、特異の小説と言わざるを得ない。







IMG_0169.JPG大正11年に大阪日報に連載したものを同年12月に改造社から出版。出版した月だけでも11版を重ねた。『死線を越えて』がベストセラーになった2年後であるから、評判を呼んで当然だったのかもしれない。

 この『空中征服』は、主人公が川の中の生き物と会話をしたり、空中都市が生まれたりするなど奇想天外、荒唐無稽に物語が進む。その点では涙や感動を誘う賀川文学とは軌を一にしていない。大阪の工場から排出するばい煙による大気汚染が限界を超えていたことの業を煮やした賀川豊彦市長が突然、煙筒廃止方針を打ち出し市議会を巻き込んだドタバタ劇が展開する。

IMG_0064.JPG 賀川豊彦「一粒の麦」再版の序文 聖路加国際病院理事長 日野原重明

賀川豊彦先生は、私の父と共に神戸市で基督教の伝道を行ないつつ、貧民層の住民のための社会事業を行なわれたことを当時中学生だった私は覚えています。賀川先生はそのような活動をされながら書かれた小説「死線を越えて」はベストセラーとなったが、その後農民問題をテーマに書かれたのが、今般再版される「一粒の麦」です。
これは漁業問題を取り扱った「海豹のごとく」と教育問題を扱った「その流域」とそれに「第三紀層の上に」と題した小説と共に四部作の小説として書かれたのが本著です。

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賀川豊彦の自伝小説は『死線を越えて』3部作の他に1939年の『石の枕を立てて』があり、計4部作ともいわれる。主人公はすべて「新見栄一」である。さらに『小説キリスト』にも賀川自身が反映される記述が多くある。
IMG_0129.JPG 賀川豊彦が東京の改造社からベストセラー『死線を越えて』を発刊したのは32歳の1920年10月だった。プリンストン大学へのアメリカ留学から神戸に 帰国して3年。大阪市の「有限責任購買組合共益社」と神戸市の「有限責任神戸購買組合」を相次いで設立、12月には播磨造船の労働組合長に推され、社会運 動家として八面六臂の大活躍。貧民救済を続けていた一牧師から一皮も二皮もむけていた。

『死線を越えて』の元となる『鳩の真似』を書き始めたのは葺合新川の貧民窟に入る前、三河蒲生郡で肺結核の療養中であった。まだ20歳になっていなかった。明日の命もないことを宣告され、小説風に自らの生い立ちをつづったものにすぎない。

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IMG_0170.JPG『死線を越えて』の爆発的売れ行きに、改造社は賀川に第二段の執筆を要請した。いわゆる「続編」である。貧民窟からプリンストン大学への留学。そして労働運動への目覚めが書かれる。『太陽を射るもの』という副題は、賀川がニューヨーク郊外のモントクレアの公園にあるインディアンの銅像に由来する。

インディアンたちは強い意志を持つ勇敢な子供を育てるために、太陽を射るほどの弓の訓練をさせた。選ばれて酋長になるためには、なおさらであった。青年賀川はその時、日本社会の建て直しを図るのは自分だと考えたに違いない。(伴 武澄=2009年1月18日)

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IMG_0180.JPG賀川豊彦『幻の兵車』(1934年、改造社)










IMG_0063.JPGこの書は昭和10年11月6日、東京の改造社から発行された。この年2月かた7月まで、賀川はオーストラリアに講演旅行をなし、12月には中山昌樹とともに、アメリカ・キリスト教連盟及びアメリカ政府の要請により渡米し、主として協同組合運動について指導したのであった。本書は「家の光」に昭和9年1月号から同10年12月号に至るまで24回に亙って連載されたものをまとめたものである。



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